2009年6月28日日曜日

17.四十九日の岩屋籠り 2

昼頃になると読経をした。毎日唱えたお経は、般若心経を二十一巻、大悲呪を三巻、観音経を一巻、阿弥陀経を一巻である。それから光明真言を百八回唱え、次に不動呪を百八回を十回繰り返した。 そのあとはひたすら座禅に打ち込んだ。夜になると北斗護摩を焚いた。

昼食はとらなかった。夕食はうどん、そば、冷麦、インスタントラーメンなどの麺類に、茶碗一杯のご飯だった。米が炊けるように飯盒(はんごう)も用意していた。野菜は叔母が作ってくれた煮つけがあった。岩屋のそばに小さなテントを張って荷物の置き場とした。

沢の近くにスコップを持っていき、穴を掘って用便をした。紙は使わずに泥団子をこね、それで尻を拭った。そのやり方は『正法眼蔵随門記』に書かれていたものに則っていた。

季節は五月の新緑の頃となった。
山に登山者が訪れるようになり、岩屋のなかに私の姿を見つけると静かに手を合わせて通りすぎた。時にお賽銭が置かれていることもあった。道元の教える只管打座(しかんだざ)とは、座っているその姿が仏であるというものである。身体は仏であった。 私は仏に仕える行者は身綺麗にするべきと思っていた。禊は、朝、昼、晩の三回行った。毎日、ふんどしと肌襦袢を変えた。

七日ごとに山を降りて、洗濯物を持ち帰った。洗濯は叔母がしてくれていた。叔母は野菜の煮つけをタッパーに入れて用意してくれていた。私は一週間分の食料を持って、ふたたび山に戻った。七日ごとを七回くり返した。 
最後の七日は断食だった。その時は護摩も焚かず、ひたすら座り、眠るときも座ったままだった。山籠りを続けているうちに感覚が鋭敏になり、風が運ぶ匂いや音がわかるようになってきた。朝、家々で用意する朝餉(あさげ)の匂いを嗅ぎ、里で子供たちが学校に向かう声が聞こえた。
そのようにして私は修行を終えた。

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