2009年10月30日金曜日

霊場 4

高賀山は「秀でて高き故まためでたい」という意味で名付けられたという。その由来が高賀神社に伝わる「高賀宮記録」に記されている。
「そもそも当宮(高賀神社のこと)の始まりは、霊亀年中より夜な夜な怪しい光が都の上空を飛び交い、人々を驚かしては、北東の方角へ飛び去って行った。
養老元年、御門より都の北東の位置にある山々を捜索するよう藤原家の家臣に命令が出された。藤原家の家臣団は、当山をはじめ、方々の洞、谷を捜索しても怪しい光の出所は解らなかった。数日、当所に留まったがその正体は知れず、そのまま都へ帰ることもできず、当山麓に神壇を設け、国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊・泥土煮尊・沙土煮尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・吾屋煋根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・大日霊貴・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鵜鵐草葺不合尊・素戔鳴尊・天御中主尊・太玉命・天児屋根尊・猿田彦尊・金山彦尊・日本武尊を御本神とした。
八百万の神を鎮座させ、十七日間退魔のご祈祷をしたところ怪しい光は出なくなった。この山は特別高く、人々は喜んで社を建立したことから、山を高賀山と名付けた。」(「高賀宮記録」訳 『洞戸村史』)