2009年6月27日土曜日

17. 四十九日の岩屋籠り 1

千日を歩き終えた私は、そのあと四十九日の間、不動の岩屋に籠もった。
四十九は仏教で一番大事にされる数字であり、人は四十九日で生まれ変わるといわれている。その四十九の岩屋籠りを千日回峰行の満行の証としたかった。

毎朝三時ごろ起きた。お椀に一杯の水を汲み、それで顔を洗い、指に塩をつけて歯を磨いた。臨済宗では最低限度の水で洗面することを教えた。雲水だった頃は、柄杓(ひしゃく)一杯の水で洗面をしたものだった。そのことを節水といった。

禊は近くの沢でおこなった。 そこで毎日新しいふんどしを締め、新しい肌襦袢を身につけ、修験装束に着替えた。岩屋の中で毎日、不動護摩を焚いた。そのために、本尊の不動明王の仏像を岩屋に持ち込んでいた。護摩壇(ごまだん)は、村の人に持ち運びの出来るものを作ってもらった。一時間ほどで護摩を終え、夜明けまで座禅を組んだ。それから外に出て粥を作った。

朝食は一杯の粥と梅干、塩昆布、胡麻である。それからまた岩屋に戻り、ひたすら座禅を組んだ。 岩屋の中で座禅をしていると、川のせせらぎが常に聞こえてきた。

2009年6月26日金曜日

16. めぐる季節 2

山の中腹に猪がいた。猪は私を見ると体をひるがえし、尻をむけた。 
次の日も同じ場所に猪はいた。またくるっと後ろをむいて、ぶるぶると尻を振るわせた。最初その行為が何を意味するかわからなかった。くる日もくる日も猪は私を見ると尻を見せた。

かつて私を追いかけてきた猪であろうか。また追いかけて気やしないかと思うと怖かった。その猪がウリ坊を連れていたので、メスだとわかったときに、もしかしたらあの猪は私に交尾を迫っているのかもしれないと思いついた。そう思うと私は森の一部として受け入れられたと思えてうれしかった。

木々が芽吹きはじめた。幹を抱いて耳を当てると、木が根っこから水を吸い上げる音が聞こえてくる。草や木や石ころにも神や仏があるという。丸三年かけて千日の山歩きをした。そして、自分が草や木や石ころと同じということに気がついた。

千日を歩き終えたとき、やりとげたという感慨は浮かんでこなかった。
ただ自分が自然の中にいるという思いだけがあり、それが至極当然のことに思えた。

2009年6月25日木曜日

16. めぐる季節 1

春が巡ってきて、私の心は蛇が脱皮して古い皮を捨て去るように変化していた。
修行を始める前に持っていた世間にたいする恨みや怒りといった感情が消え、私を苦しめた孤独も気にならなくなっていた。
以前は人恋しさのために、訪ねてきた客になんどもお茶を勧め、帰るのを引き止めていたが、そのようなこともなくなた。

縁側で客が話しをしているのを私は庭の掃除をしながら聞くともなしに聞いていた。
庭の掃除をしながら、私は仏陀の弟子であったチューラパンタカのことを思い出していた。

彼は愚鈍で人々の笑いものであったという。
兄のマハーパンタカは物覚えの悪い弟のチューラパンタカのことを叱り、祇園精舎のそとへ追い出してしまった。
チューラパンタカは門の前で立ちすくんで泣いていた。
そこに通りかかった仏陀が声をかけた。
「精舎に戻るがよい。 お前は自分が愚かだと嘆いているが、真に愚かなものは、自分が愚かであることを知らぬのだ」
そして、彼に布と箒を与え、「塵をはらえ、垢を除け」という言葉をくり返し唱えながら、精舎を掃き清め、精舎に集まる人々の足を拭うようにいわれた。

チューラパンダカは、その言葉を一心に唱え、毎日掃除を続けた。
そしてあるとき「塵をはらえ、垢を除け」とは、自分の心の塵垢であることに気がついた。
いつも自分の愚かさを嘆き悲しんでいた私だったが、「馬鹿の一つ覚え」のごとくに仏陀の言葉を唱え続けて悟りを得たチューラパンタカのように、私も自分の道を歩き続けるほかはなかった。

仏陀の言葉に「寒さと暑さと、飢えと渇えと、太陽の熱と、虻と蛇と、-これら全てのものに打ち勝って、犀の角のようにただ独り歩め」とあった。

私は淡々と山を歩き続けた。

2009年6月24日水曜日

15. 雪山の遭難 3

祖父は雪山で遭難したら「動かずに雪洞を掘れ」と教えてくれた。
いわゆるカマクラのことである。山師は雪山で大木の幹に雪を積み上げ雪洞を作るのだが、そのとき枝に縄をくくりつけ上から雪洞の中に下ろす。
その縄が作った穴は中で火をおこしたときの空気穴だった。 私は道を作ることをあきらめ、近くの木の下に雪を積み上げた。雪洞を作り上げるのに、一時間ほどかかったであろうか。腰に巻いていた貝ノ緒を枝にかけて、雪洞に吊るした。
しかし火をおこすことはできなかった。私は着ていたものを脱いで裸になった。
それから横になり、脱いだ服を体にかけた。服は着ていて肌に密着させるより、蒲団のように上にかけて中に空気を入れたほうが暖かかった。それも祖父から教わった知恵であった。

雪洞の中で凍えながら、私は思った。 私はこの修行に驕りはなかったろうか。
一人で出来ると思ったのは思い上がりではなかろうか。
比叡山の回峰行を冬場に行わないのは、このようなことがあることを知っていたからであろう。一人で行わないのもそうであろう。
わたしがもしここで死んで迷惑をかける人たちのことを思った。
私が修行をしようと思ったことは、私のエゴではあるまいか。
自己満足のために他人に迷惑をかけてはいないだろうか。
私は山を侮ってはいなかったであろうか。

三年も毎日歩いた山で遭難するはずがないと思っていた。しかし、その驕りを、山の神はお許しにならなかったのであろう。それは三月のことで、もうすぐ千日を終えるという時期のことだった。

どれほどの時間が過ぎたであろうか。遠くから「おーい、おーい」と呼ぶ声が聞こえた。雪洞から出て、私は大声をあげて彼らを呼んだ。しげさんの姿が見えた。 
他に畳屋の源さんら気作の村人が三人いた。
彼らは私を見つけると体にロープを巻きつけ、スコップで雪を掻き分けながら道を作り、斜面を降りてきた。助け上げられたときには、すっかりと太陽が落ち、あたりが暗くなっていた。

2009年6月23日火曜日

15. 雪山の遭難 2

私の体は腰まで雪に埋もれた。動こうとしたが、身じろきができなかった。
手で目の前の雪を掻き分けた。掻き分けた雪を手で押さえつけて固め、その上に雪の中から引き抜いた足を乗せて、さらに踏み固めた。
前に進もうとすると、また腰まで雪に埋まった。再び手で雪を掻き分けて固めて段をを作った。その段に体を乗せ、前に進んだ。

断崖というほどの急な斜面ではなかった。周りには木々が立ち並んでいた。
ところが体は前に進まなかった。手は赤くなり、痛んだ。
雪を掻いては、手を脇の下に挟んで暖めることを繰り返した。
次第に指の感覚もなくなった。

一メートルほど進む頃には、疲労困憊していた。汗をかくとかえって体が冷えた。 
体を動かさないように動かしながら、少しずつ登った。
二メートル進むのに二時間ほどかかったのではなかろうか。 時計をつけているわけではなかったが、雲の上で太陽が高く昇っているのが分かった。
山で死ぬとはこのようなことかと思った。

私は映画『八甲田山』を思い出した。あの映画を見たのは正眼短期大学の一年生の夏休みだった。正眼寺が毎年行う夏期講座に学生が手伝いに駆り出された。
二泊三日の講座を終えてから、みんなで柳ヶ瀬にくりだした。
岐阜の花火大会があって見た。そのあと二十人ほどの仲間と深夜上映の映画館に入った。

日本陸軍が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に吹雪に遭遇し、二百十名の隊員のうち百九十九名が死亡した実際の遭難事故を題材にしたこの映画は、高倉健をはじめとしたオールスターキャストで、公開当時に大きく話題になった。
映画を見ながら、なぜこの程度の雪で遭難するのだろうと不思議に思った。
映画を観た後、みんなで朝まで飲んで騒いだ楽しい思い出があった。

2009年6月22日月曜日

15. 雪山の遭難 1

山に雪が降った。
私が起きるのは深夜の一時過ぎだが、叔父のしげさんはいつも私より早く起きて竈に火を入れていた。木作の家ではまだ薪を使って火を起していた。
私が目を覚ますと、いつも熱いお茶を入れてくれた。時々私のかわりに塩おにぎりを握ってくれたが、しげさんのむすぶおにぎりはまんまるだった。

山道では木のスコップで積もった雪を掻き分けながら進んだ。
山から降り、食事の時間になるとしげさんが味噌汁をつくた。
叔母は知的障害のある叔父になにか役割を与えようとして、味噌汁を作るのはいつもまかせていた。冷えた体に熱い味噌汁がしみた。しげさんは「ぼう、旨いか」と聞き、私が「美味しい」と答えると、何杯でもおかわりを持ってきた。

ある日、目を覚ますと外は吹雪だった。
お茶を持ってきたしげさんが、心配そうな顔をして「行くんか?」と聞いた。
私は黙ってうなずいて、かんじきを履いて出かけた。木々に囲まれた山の中は風もなく暖かだった。
登山道の石段は雪が積もっていたが、すっかり記憶した石に足をかけて峠まで登った。峠から山頂までの尾根では、昨日スコップで作った道も、すでに埋もれていた。
踏みしめると脚がずぼりと雪に埋まった。頂上では風が強く、読経をする私の顔に雪があたった。雲のせいでご来光を仰ぐこともかなわず、読経を終えると、早く山を降りようと思いながら、私は尾根道を下った。
尾根道が急な坂になっているところを、私は飛び跳ねるように降りていった。
その時道を踏み外し、山の斜面を二十メートルほど転げ落ちた。

2009年6月21日日曜日

14. 不思議な炎 3

山には死者の霊がいると古くから信じられてきた。
青白い炎を人魂だと思ったのは、お盆の時期だったせいではない。
以前同じ場所で、不思議なものと遭遇した経験があった。

それは二年目の冬、一月八日のことだった。
午前四時ごろ、岩屋を越え足元だけを見ながら一心に登っていると、ふと人とすれ違う気配を感じた。驚いて振り向くと二メートルほど先に人影が見え、むこうも振り向いて私のことをみた。
その姿は青白かった。長い髪をしていたので女性とわかった。
目や鼻や口は輪郭がはっきりせず、上半身はぼんやりとしていて、下半身は闇に隠れて見えなかった。見つめていたのは二秒ほどであったろうか。
「見てしまった」と思い、すぐに目をそらした。全身から鳥肌がたった。
それに囚われてしまうと山を登れなくなるので、すぐに気持ちを入れ替え一心に山を登った。日付を正確に覚えているのは、その日から雪が降り出し、何日も続いたからだ。

幽霊らしきものを見たことは、もう一度あった。それは三年目の秋口のことで、場所も同じ岩屋を少し登ったところだった。その時もはっきりとすれ違う気配を感じた。 
おそるおそる振り返ると五メートルほど先に、男三人の足だけが見えた。
それが人間ではないことはすぐにわかった。全く足音が聞こえなかったからだ。
ニッカポッカを穿き、編み上げ靴を履いていたので、軍人達のようにも見えた。
上半身の見えない男達は、すぐに暗闇の中に消えた。

不思議な出来事はこれだけではない。
この岩屋に籠もって声明(しょうみょう)を唱えていると、蝋燭の火が高く燃え上がり火柱になった。火柱の高さは一メートルにも思えた。 
この現象は何度か起きた。それは毎年お盆の時のことだった。