2009年6月24日水曜日

15. 雪山の遭難 3

祖父は雪山で遭難したら「動かずに雪洞を掘れ」と教えてくれた。
いわゆるカマクラのことである。山師は雪山で大木の幹に雪を積み上げ雪洞を作るのだが、そのとき枝に縄をくくりつけ上から雪洞の中に下ろす。
その縄が作った穴は中で火をおこしたときの空気穴だった。 私は道を作ることをあきらめ、近くの木の下に雪を積み上げた。雪洞を作り上げるのに、一時間ほどかかったであろうか。腰に巻いていた貝ノ緒を枝にかけて、雪洞に吊るした。
しかし火をおこすことはできなかった。私は着ていたものを脱いで裸になった。
それから横になり、脱いだ服を体にかけた。服は着ていて肌に密着させるより、蒲団のように上にかけて中に空気を入れたほうが暖かかった。それも祖父から教わった知恵であった。

雪洞の中で凍えながら、私は思った。 私はこの修行に驕りはなかったろうか。
一人で出来ると思ったのは思い上がりではなかろうか。
比叡山の回峰行を冬場に行わないのは、このようなことがあることを知っていたからであろう。一人で行わないのもそうであろう。
わたしがもしここで死んで迷惑をかける人たちのことを思った。
私が修行をしようと思ったことは、私のエゴではあるまいか。
自己満足のために他人に迷惑をかけてはいないだろうか。
私は山を侮ってはいなかったであろうか。

三年も毎日歩いた山で遭難するはずがないと思っていた。しかし、その驕りを、山の神はお許しにならなかったのであろう。それは三月のことで、もうすぐ千日を終えるという時期のことだった。

どれほどの時間が過ぎたであろうか。遠くから「おーい、おーい」と呼ぶ声が聞こえた。雪洞から出て、私は大声をあげて彼らを呼んだ。しげさんの姿が見えた。 
他に畳屋の源さんら気作の村人が三人いた。
彼らは私を見つけると体にロープを巻きつけ、スコップで雪を掻き分けながら道を作り、斜面を降りてきた。助け上げられたときには、すっかりと太陽が落ち、あたりが暗くなっていた。

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