2009年6月6日土曜日

10. 泉

昼に家に戻り、夕方五時に就寝するまでの数時間が、私の休息時間だった。
その間は仏教書を読んだり、ビニール紐で草鞋(わらじ)を編んだりして過ごすのが常だった。
たまに村人が訪ねてきてくれると、とても嬉しかった。

毎日五時に就寝し、八時間ほど寝て、深夜の一時に起床する。
いつもはそば粉とこうせん粉の団子を作るのだが、たまに塩おむすびを作ることもあった。
作務衣を着て家を出て、高賀渓谷で禊を終えた後、その場で修験装束に着替えた。

牛戻し橋を過ぎた場所に小さな泉があった。水はポコポコと音をたてて湧き出していた。周りには山葵(わさび)が自生し、イトヨという淡水魚が水中を泳いでいた。
私はそこで水を汲んで高賀神社にお供えをしていた。 お供え水のことを「閼伽(あか)水」という。修験道では、この閼伽をとても大切にする。その水は飲んでもとてもおいしかった。

私が毎日その閼伽水を汲んだ場所は、土地の人もほとんど知らなかった。
私はこの場所がとても気に入っていて、蓮華峯寺を再建するならば、是非この場所に建てたいと思っていたほどだった。

2009年6月5日金曜日

9. 孤独 2

子供の頃、祖父と山に入り捕まえては焼いて食べたマムシだが、もう彼らを食べたいとは思わなかった。彼らは私の修行中の孤独を慰めてくれる貴重な友達であった。

沢でいつも私が通るたびに鳴いて迎えてくれるガマガエルも友達だった。いつもの場所にいないと不安になって姿を探した。そして姿を見つけると、ほっとして、嬉しくなった。

小鳥の囀りも、姿がみえなくても、声を聞くだけでいつもどの鳥の鳴き声かわかた。その鳴き声は、私に声をかけてくれているのだとわかった。



私は動物達に接しながら、逸外老師に与えられた公案の答えを考えていた。「犬にも仏性があるか」という「問い」は、そのまま動物達にもあてはまった。私は彼らにも仏性があると思うようになっていた。彼らと親しむことは修行の楽しみとなった。

2009年6月4日木曜日

9. 孤独 1

修行も二年目に入ると体がきついということもなくなったが、今度はどうしようもなく人恋しさが募ってきた。

深夜に登頂を始め、下山をするのは昼頃。山の中で出会うのは動物たちだけだ。

不動の岩屋にいるマムシたちに対しても、次第に情がわいてくる。 私は里から生卵を持ってきて、岩屋の中におくようになった。翌日にはその卵は消えていた。マムシ達には縄張りがあるらしく、最初に私が卵を一つだけ置いた場所には体の大きなマムシが居座るようになった。

私はそれから三匹のマムシのために三個の卵を持ってくるようになった。するとしばらくしてマムシの数は四匹になった。彼らは声を出さないが、明らかにお互いの意思の疎通をしていることもわかった。四匹のマムシに卵を運んでいると、マムシの数は更に増え、五匹になった。私は体の小さなマムシのために、鶏の卵とは別にうずらの卵を用意した。

2009年6月3日水曜日

8. 甘露の雨 3

雨が冷たくても、それは甘露の雨だった。
なぜ千日回峰行をやろうと思い立ったかと聞かれるたびに、私はこう答えている。
それはわが人生を恨んでのことだと。

父の因縁が常に私に覆いかぶさっていたが、なぜか父を恨む気にはならなかった。
私が恨んだのは、私の運命だった。
なぜ私は生まれてきたのか。
私は何をしようとしているのか。

私は禅宗でも天台宗でも真言宗でも修行をした。
そのどこでも私の素性が問題にされた。
私は父の代わりに師を求めた。
しかし、私をかわいがってくれた師達は皆、すでに亡くなってしまい、私は自分の居場所を探していた。

そして、武藤一族の因縁の地である高賀こそが私の居場所だと思った。

2009年6月2日火曜日

8.甘露の雨 2

(妙法蓮華経薬草諭品第五)

其雨普等 四方倶下 流樹無量 率土充洽
山川険谷 幽邃所生 卉木薬草 大小諸樹
百穀苗稼 甘蔗蒲萄 雨之所潤 無不豊足
乾地普洽 薬木並茂 其雲所出 一味之水
草木叢林 随分受潤 一切諸樹 上中下等
称其大小 各得生長 根茎枝葉 華果光色
一雨所及 皆得鮮沢 如其体相 性分大小
所潤是一 而各滋茂 

「其の雨普等にして 四方倶に下り 流樹すること無量にして 率土充ち洽(うるお)う  山川・険谷の 幽邃(ゆうすい)の生いたる所の 卉木・薬草 大小の諸樹 百穀苗稼   甘蔗・葡萄 雨の潤す所 豊かに足らざること無く 乾地普く洽い 薬木並び茂り   其の雲より出づる所の 一味の水に 草・木・叢林 分に随って潤いを受く 一切の諸樹 上中下等しく 其の大小に称(かな)ひて 各生長することを得 根・茎・枝・葉・華・果・光・色   一雨の及ぼす所 皆鮮澤するところを得 其の体相 性の大小に分れたるが如く   潤す所是れ一なれども 而も各滋茂するが如く」

(雨が降り始めると、その雨は隈なく四方に等しく降り注ぎ、全ての土地が雨の潤いを受ける。
山も川も険しい谷の奥深い所の草・木・薬草や大きな木や小さな木、いろいろな穀物や甘蔗やブドウの木や植物は全て雨の潤いを充分に受けることになる。
乾いた大地も潤い、そのお陰で薬木も繁ってくる。
雨雲からの『一味の水』によって、草や木や藪や林等がそれぞれの分に従って水を吸収するのである。
その結果、一切の木々は上中下一様にその大小の性質に従って伸びることになる。
根や茎や葉や花も実も皆、雨に濡れて美しい光沢を帯びる。
草々や木々はその種類によって大きくなるもの、小さいままのものと分かれており、同じ雨、同じ水を同じように受けてもその成長はそれぞれ異なるのである)

2009年5月31日日曜日

8. 甘露の雨 1

暑さや寒さには慣れたが、雨の日は辛かった。
修験専用のビニール製の合羽があったが、風のある日などは役に立たず、装束は濡れるとずしりと重くなった。大雨の日など水が濁流になって山道を落ちてくる。
下山のあとに、泥だらけになった衣を洗濯するのだが、替えの衣をいくつも持っているわけではない。だから雨の日が続くと、生乾きの衣を着る羽目になった。毎日の洗濯も大変だった。叔母がやってくれることもあったが、なるべくならわずらわせたくないと思い、自分でやった。

地下足袋は底がゴム製で修験専用の丈夫なものを選んだが、それも月に二、三足は履きつぶしていた。布の部分が破れ、そこから川蛭(かわひる)が入って来た。
川蛭は脚袢(きゃはん)の下をくぐり抜けて腿のあたりまで登り、血を吸った。川蛭は梅雨時には増えたので、山から降りて装束を脱ぐと、よく足にへばりついていた。大きいものは三十センチぐらいあった。

足に出来た肉刺(まめ)が潰れ、その潰れた肉刺の上に新たな肉刺が出来た。托鉢で鍛えた脚であり、千日行を始める前の準備として、すでに百日行を行っていたが、やはり毎日休みなしに続けるのは体に堪えた。風邪を引き、熱を出したこともあったが、休むわけにはいかなかった。
誰が見ているわけではなかったが、仏さまは見ていると思っていた。