2009年8月19日水曜日

裏高野山 1

西国三十三箇所の巡礼を終えた私は、一月から五月まで北海道から東北を廻る。
そして、恐山を最後に一年の托鉢の旅を終えた。
旅を終えた私は、経営コンサルタントの看板を掲げて事業を始めた。私は剃頭(ていはつ)した頭に背広を着た。主な仕事は人材育成である。私のビジネスセミナーは、とてもユニークだと評判になり、仕事は順調に増えていった。

私が旅でであった老僧の隠居寺の門を叩くのは、華厳寺での出会いから半年以上たってからのことだ。老僧が住んでいたのは、裏高野山の廃寺同然のボロ寺だった。
明治生まれというから当時の年齢は八十歳を超えていただろう。
背は高かったが、痩せていた。
親しく話をすると、この方は高野山で修業をされた大阿闍梨(だいあじゃり)であることがわかった。当時すでに真言密教に関心があった私は、仕事が休みの日を利用して、この寺に通うようになる。

出会い 3

老僧は私に
「禅宗のお坊さんですか」
と語りかけてきた。
私は
「はい。臨済の僧侶です」
と答えた。
「次はどこに歩いていきますか」
「風の吹くまま、気のむくままです。」
私がそう答えると、老僧はにこりと笑い、首を大きく三度振って頷いた。
「お坊さまはどちらからお見えになりましたか。お衣から察するに、こちらのお坊さまではないとお見受けしましたが」
私はそう聞いた。
こちらとは華厳寺のことで、老僧の黄色い直綴(じきとつ)衣は天台宗のものではないとわかったからだ。
「高野から参りました」
老僧は答えた。
「西国三十三箇所の巡礼をしています」
「ここは最後の結願寺ですから、今日、満行されたのですか」
「ええ、私はこれで五度、三十三箇所の巡礼を満行しています」
それを聞いて私は大いに驚いた。
それからしばらくは沈黙をしていた。
私はなにを尋ねてよいか計りかねていた。
老僧の衣は薄汚れていて黄色も色が褪せていた。
一見、乞食坊主にも見える風体であったが、私はこの僧の物腰や落ち着きからただならぬものを感じていた。
私が次の言葉を捜していると、老僧が私に
「これからどうされるのですか」
と聞いてきた。
「私の師がなくなり、私は彷徨(ほうこう)しています」
私がそう言うと、老僧は微笑んで、また大きく三度頷いた。
「いつか私を訪ねてきなさい」
といい、懐から懐紙を出して、鉛筆で住所を書いて渡してくれた。
それを受け取り、私はその場を辞した。
老僧と一緒にいた時間は、小一時間ほどであっただろうか。
歩き始めて再び振り向いたときには、老僧は夕刻の陽射しの中でぼんやりとした影になっていた。それが、私の密教の師となる人物との出会いである。

2009年8月17日月曜日

出会い 2

十二月の終わりに、三十三箇所の旅を区切る華厳寺(けごんじ)を訪れた。
お参りを終え参道を下っていく頃には、太陽がすでに傾き始めていたと思う。
土産物屋が並ぶ道を抜け、なおも続く参道を歩いていると、黄色い衣を着た一人の年老いた僧が、大きな石の上に腰をかけて休んでいるのが目に入った。
その老僧は、持っていた錫杖に寄りかかるようにして寝ているように見えた。
私が老僧の前を通り過ぎるときに合掌をすると、目があった。
その老僧はゆっくりとした動作で、私に合掌を返した。私は一礼をして通り過ぎた。
通り過ぎてからも、その老僧のことが気になり、しばらくして後ろを振り向いた。
その老僧は私を見ていて、おもむろに腕を私の方角に伸ばして、手招きをした。
私は引き返した。その老僧の脇に腰を下ろすと、私を見てやさしく微笑んだ。
私が網代笠(あじろがさ)を取ると、老僧も取った。
その風貌は痩せた顔に七福神の中の寿老人(じゅろうじん)のような髭を生やし、五分刈りの頭は白髪で、大きな福耳をしていた。