2009年6月11日木曜日

12. 小さな見性 3

叔母が、洗濯した私の修験装束を竿に干しているときに、パンパンと音をたてて叩き、両手で挟んだ布のしわを伸ばしていた。
毎日の洗濯はたいへんで、たいていの場合は叔母がやってくれていた。
ありがたいことと感謝はしていたが、どこかでそれを当たり前のことと思っていた。

叔母が用事で家を空けなくてはならないときには、私は自分で装束の洗濯をした。
洗濯機は古く、脱水機の代わりにローラー式絞り機がとりつけられたいた。
ゴム製のローラーの間に服を挟みこみ、取っ手をまわして水を絞る。
このとき絞りすぎると麻衣にしわができたので、力の加減が必要であった。
少し水が滴るぐらいに濡れた洗濯物を物干し竿に通し、手で叩いてしわを伸ばすと、乾いた時にアイロンをかける必要がないほどにピンとする。このことを叔母におそわった。

あるとき、私は手でパンパンと音をたてながら洗濯物のしわを伸ばしていた。
そのときに自分が無心でいることに気がついた。
見性を得るとは、禅宗において自分の心性を見極めることをいう。
邪念をいだき、日々の雑事に煩わされていることを嘆いていた気持ちが消え、日々の生活のなかに修行があることを悟ったのだ。

それから私は叔母に任せずに毎日自分で洗濯をした。

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