私は木立の中にある長い石段の前に佇んで、これからの新しい生活に不安な思いをめぐらせていた。私は、鎌、斧、地下足袋の入った鞄を肩に掛けなおし、重い足取りで一歩一歩、石段を登った。
山門をくぐると本堂の前にしだれ桜の木があったが、花はすでに散った後だった。
ここは岐阜県美濃加茂市の伊深(いぶか)にある正眼時(しょうげんじ)という臨済宗妙心寺派のお寺で、ここの境内にある正眼短期大学というのが私のこれからの生活の場だった。
その大学は「伊深の少年院」ともよばれ、地元のの不良少年たちに怖れられていた。少年院に行くはずだった私がそれを免れたのは、家庭裁判所の判事が私の家庭環境では少年院に送っても更生は難しかろうと考えたからだ。
代わりに私は裁判官の遠戚である住職がいる禅寺に預けられることとなった。
その寺から二十五キロの距離、昔で言うならば六里の距離を二時間半かけて高校に通い、皆より遅れて五月に卒業した。
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