二部生とよばれる学生は企業からの派遣だった。この大学が設立された時、理事長である逸外老師の「人間を作りたい」という理念に共鳴した企業が多額の寄進をした。そして将来の幹部候補生たちを送り込んだ。
当時の逸外老師は有名人で、各界からの信頼が厚かった。特に話題になったのは、巨人軍の川上哲治氏が逸外老師に師事していたことだ。私は在学中に正眼寺で何度も川上監督の姿を見かけた。長島茂雄氏や王貞治氏と言葉を交わしたことさえある。巨人軍が破竹のV9を達成した時代のことだ。
同期だった寺田(仮名)は大日本土木から派遣されており、東大出の二十五歳だった。何事においてもリーダーシップを発揮していた彼は会社に戻ってからも出世コースに乗り、現在、幹部として活躍していると聞く。
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