宗覚師は逸外老師が理事長をされていたとき、正眼短期大学の副学長をされていた。とても面倒見がよく、私たち学生を飲みに連れて行ってくれたりして、かわいがってくれた。
逸外老師が妙心寺の管長になられて正眼寺を離れられた後に、正眼寺の住職になられたのが、逸外老師の一番弟子である谷耕月(たにこうけつ)師であった。
同時に、谷師は梶浦逸外老師の後を継いで正眼短期大学の理事長になられた。
正眼寺と正眼短期大学はいわば一体であったからだ。このときに追われるように大学を去ることになるのが宗覚師である。
我々学生は当然、宗覚師が次の理事長になるものと思い込んでいた。しかし、宗覚師は逸外老師の実弟ではあったが、弟子ではなかったのだ。
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