宗覚師が修行されたのは臨済宗国秦寺派で、逸外老師が管長になられた妙心寺派とはちがった。本来であれば、私も師匠と同じ国秦寺で修業をすべきであった。
しかし私には逸外老師の弟子でありたいという思いがあったので、真福禅寺の小僧をしながら妙心寺派の正眼寺に直参(じきさん)していた。そこで、しばしば正眼寺住職の谷耕月師の接心(せっしん)を受けることもあった。
管長職をされていた逸外老師にお目にかかる機会は限られていたが、月に一度ほど宗覚師を訪ねていらっしゃることがあった。
ある日、真福禅寺にいらした逸外老師が私を見かけて、こう尋ねた。
「谷耕月師からは、どんな公案を授けられたかね?」
公案とは禅宗において師から弟子に出される「問い」のことをいう。
この「問い」を座禅しながら熟考し、自分なりの「答え」を見出して、師と向き合う。
生半可な答えは師に一蹴される。このやり取りが、いわゆる「禅問答」である。
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