高賀山は、閉ざされた山というわけではなかったので、登山者と行き交うこともあった。
修行を始めて二年目の夏に行き交う登山者の数が急に増え始めた。登山者たちが私を見て、「新聞にでていた行者さんだ」と囁く声が耳に入ってくる。後に知ったことだが、趣味で山の植物の写真を取りに来ていた中日新聞の記者が、修行中の私の姿をたまたま見かけカメラに収めたそうだ。それが記事になって掲載されたことを、記者本人が何年か経ってから連絡をしてきた。
記事がでてしばらくしてのことだと思う。私が高賀渓谷で禊をしている最中に、渓谷を見下ろす橋の上に、テレビ局の車が留まっていることに気がついた。その時は自分のことを撮影しに来ているのだとは思わなかったが、村人に、地元テレビ局のニュース番組に出ていたことを知らされた。
それからその橋には見物客が溢れ出した。多いときには三十人ほど集まった見物客は、それぞれに私に声をかけてきた。修行の最中は無言であることが基本なので、声をかけられてもそれに答えることはしない。取材のためにマイクを向けられたこともあったが、私は軽い会釈をしただけで、通り過ぎた。
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