2009年6月10日水曜日

12 小さな見性 2

しかし、見られたいることは励みになった。
禊で唱える真言にも自然に力がこもった。

土曜日、日曜日ごとに見物客は増えた。不動の岩屋に行くと、先回りをして待っている者たちも現れた。私は無言のまま、何人もの同行者を引き連れ山に登ることもあった。写真を撮られることは日常茶飯となった。当時の私はちょっとしたスターであった。

注目されることは嬉しいことだった。しかし、比叡山で修行をしていたならば、もっと大きく報道されただろうし、身の回りの世話をしてくれる人が常にいて、修行だけに専念できる。山に登るにしてもお付きの人達と一緒だ。彼らは冬に休みながら千日を七年かけて行えばいいが、私は千日を冬場も休まず三年でおこなわなければならない。
そして、満行の暁には比叡山で回峰行をする行者のように名誉栄達が約束されているわけではない。そんな気持ちが芽生えたときに、私は小さな見性を得た。

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