2009年8月14日金曜日

托鉢 5

読経を終えて振り向くと、老夫婦は仏壇に手を合わせながら泣いていた。
聞くと、今までこれほどきちんと坊さんに供養をしてもらったことがないという。
「おはぎがあるので食べていってください」と言われ、御馳走になりながら話を聞くと、夫婦には三人の息子がいたが、一番上の息子は特攻隊で死に、二番目の息子は結核で死に、三番目の息子は海軍で戦死したという。
小一時間ほど話をして、お昼時になったので、寿司でも取ろうという誘いを固辞し、立ち去ろうとした別れ際、老婆は前掛けのポケットからくしゃくしゃになった紙幣を取り出し、私に背を向け手で懸命にしわを伸ばしてから、私に手渡そうとした。
それは一万円札であった。夫婦の暮らし向きが苦しいだろうということは、家の中の様子から見て取れた。その一万円は貴重な年金であろう。私は受け取ることを躊躇した。
すると老婆は私の手を取り、その一万円札をぎゅっと握らせた。托鉢行では喜捨を受け取ることは相手に功徳を積ませることでもあり、拒否はできない。
私の目からは涙があふれた。私はその一万円を頭陀袋(ずだぶくろ)にではなく、懐に入れた。
その一万円を私は一日中持っていたが、結局、自分の為に使うことができなかった。
翌日、私は孤児院を訪れてそのお金を寄付した。

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