岐阜近隣から始めた托鉢の行脚は、徐々に遠くに足を延ばすようになった。
歩いて気づかされたのは、金持ちの住む場所ではお布施を受け取ることができず、むしろ貧乏な人たちが住む場所でこそ、お布施を受け取ることが多いことだ。
路地を歩いていると、子どもがやってきて、私に十円玉を握らせたことがあった。
その土地に喜捨をする風習が根付いているということであろう。
心の豊かさはお金の尺度では計れないことを、托鉢行を通して学ぶことができた。
二千円から三千円のお布施が集まると、その日の食費とし、余った分は、その日に投宿した寺の賽銭箱に入れ、翌日また無一文から托鉢を続けた。
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