2009年8月4日火曜日

12 流転 1

教師の仕事にはやりがいを感じていた。ちょうどテレビドラマで「金八先生」が流行っていたころで、私も熱血教師をめざした。
しかし、現実はドラマのようにはいかなかった。正眼短期大学のような厳しい教育は、大人になりかかった十九、二十歳には適していたが、まだ幼い高校生には無理があった。生徒数の多いマンモス高校では、様々な問題が相次ぎ、生徒と学校の間に立った私はいつも苦しい立場に立たされた。結局、私の教師生活は一年しか続かなかった。原因の一つに父が再び逮捕されたことがある。父が刑務所に入ると、父の作った借金が保証人である母の元へかぶってきた。私は母を援助していたが、その金額はとても教師の給料で追いつくものではなかった。私は勤めていた会社に相談をした。すると理事長の息子である副理事長が、「武藤先生のお父様はその筋の方でしたか。それではうちの学校にふさわしくありませんね」といった。
その一言で私は学校を辞めた。

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