ある日、用があって正眼寺に電話をしたとき、谷耕月師が病気で入院したという知らせを聞いた。私は彼女を連れてお見舞いに行った。すると私たちは谷耕月師が入院されてから訪れた最初の見舞客だった。
耕月師は私たちが来たことを非常に喜んでくれた。そして彼女をフィアンセであると紹介すると、喜んで仲人になることを引き受けてくれた。そのことを師匠である宗覚師に報告をしにいくと、口では祝ってくれたが、なんとも寂しい表情をされたのが忘れられない。真福禅寺とは、そのまま疎遠になってしまった。
その後、谷耕月師は、子どもが生まれたときに名付け親になるなど、なにかと私たち夫婦をかわいがってくれた。そんな経緯があったのだが、結局、耕月師は結婚式に出席していない。理由は、私の父にあった。母と一緒に挨拶にいったのだが、ヤクザ者の父は相手が誰であろうと関係なくぞんざいな口を利いた。耕月師はその時まで私の父がヤクザの組長であることを知らなかった。妙心寺派の高僧である谷耕月師が、ヤクザと同席することはやはり難しかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿