学校を辞めて、まず私が始めたのは土方(どかた)である。解散した父の組の組員だった男が土建屋をやっていて、そこで肉体労働を三ヶ月やった。
次にもっと時給の高い解体業に移った。それも父の組のつながりであった。そのとき、大型免許を持っていなかったにもかかわらず、私は十一トントラックを運転した。その仕事は四ヶ月続いた。
次に本の訪問販売セールスの職についたが、これは自分に合わず一ヶ月で辞めた。次に私は商事会社のサラリーマンになった。時代はバブル経済に向かう途上であり、証券はとても儲かった。父の借金は三千万円ほどで、主にサラ金からのものだったが、私はサラリーマンをしながら順番に返していった。借り先のサラ金は二十数社に及んだ。その借金を数年で返し終えた。私のセールスの成績は優秀だった。小豆相場で大儲けしたこともあった。
ある日、営業で訪れたある会社で、私の顧客であった社長が自分の会社で開発した機械を見せてくれた。それは電線を覆う皮膜を自動で切断する機械だった。それまでにも同じような機械はあったのだが、大型で高価だった。その会社はゲーム機器などの製作をしていたのだが、その基盤はたくさんの配線が必要で、作業の合理化のために独自に小型の機械を独自に作った。それを見せられた私が「これは他社にも売れますよ」と言うと、私の顧客であるその社長は自分もそう思うと言い、ただ自分のところには販売網がないから、私に作って欲しいと請われた。私は販売会社を作って、そこの専務に納まった。商品はアメリカのNASAに納入されるほどにヒットし、会社は業績を順調に伸ばした。
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