私はいつしかこの阿闍梨を、自分の先祖である慈海了空禅師と重ね合わせてみるようになっていた。私の尊敬する先祖はこのような人ではなかったか。いや、この人こそ先祖である慈海了空禅師が転生を重ねて私の前に現れたのではあるまいか。
結局、最後まで私は阿闍梨から名前を呼ばれることがなかった。いつも「あんた」とよばれていた。
この大恩のある師の名を、私は故あって明かすことはできない。阿闍梨が亡くなったとき、私は托鉢をしていた。知ったのは二日後のことだ。遺骨は東北の実家に帰った。
運命と宿業 -千日回峰行-、 青年時代の思い出、修行の思い出他
0 件のコメント:
コメントを投稿