老僧は私に
「禅宗のお坊さんですか」
と語りかけてきた。
私は
「はい。臨済の僧侶です」
と答えた。
「次はどこに歩いていきますか」
「風の吹くまま、気のむくままです。」
私がそう答えると、老僧はにこりと笑い、首を大きく三度振って頷いた。
「お坊さまはどちらからお見えになりましたか。お衣から察するに、こちらのお坊さまではないとお見受けしましたが」
私はそう聞いた。
こちらとは華厳寺のことで、老僧の黄色い直綴(じきとつ)衣は天台宗のものではないとわかったからだ。
「高野から参りました」
老僧は答えた。
「西国三十三箇所の巡礼をしています」
「ここは最後の結願寺ですから、今日、満行されたのですか」
「ええ、私はこれで五度、三十三箇所の巡礼を満行しています」
それを聞いて私は大いに驚いた。
それからしばらくは沈黙をしていた。
私はなにを尋ねてよいか計りかねていた。
老僧の衣は薄汚れていて黄色も色が褪せていた。
一見、乞食坊主にも見える風体であったが、私はこの僧の物腰や落ち着きからただならぬものを感じていた。
私が次の言葉を捜していると、老僧が私に
「これからどうされるのですか」
と聞いてきた。
「私の師がなくなり、私は彷徨(ほうこう)しています」
私がそう言うと、老僧は微笑んで、また大きく三度頷いた。
「いつか私を訪ねてきなさい」
といい、懐から懐紙を出して、鉛筆で住所を書いて渡してくれた。
それを受け取り、私はその場を辞した。
老僧と一緒にいた時間は、小一時間ほどであっただろうか。
歩き始めて再び振り向いたときには、老僧は夕刻の陽射しの中でぼんやりとした影になっていた。それが、私の密教の師となる人物との出会いである。
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