暑さや寒さには慣れたが、雨の日は辛かった。
修験専用のビニール製の合羽があったが、風のある日などは役に立たず、装束は濡れるとずしりと重くなった。大雨の日など水が濁流になって山道を落ちてくる。
下山のあとに、泥だらけになった衣を洗濯するのだが、替えの衣をいくつも持っているわけではない。だから雨の日が続くと、生乾きの衣を着る羽目になった。毎日の洗濯も大変だった。叔母がやってくれることもあったが、なるべくならわずらわせたくないと思い、自分でやった。
地下足袋は底がゴム製で修験専用の丈夫なものを選んだが、それも月に二、三足は履きつぶしていた。布の部分が破れ、そこから川蛭(かわひる)が入って来た。
川蛭は脚袢(きゃはん)の下をくぐり抜けて腿のあたりまで登り、血を吸った。川蛭は梅雨時には増えたので、山から降りて装束を脱ぐと、よく足にへばりついていた。大きいものは三十センチぐらいあった。
足に出来た肉刺(まめ)が潰れ、その潰れた肉刺の上に新たな肉刺が出来た。托鉢で鍛えた脚であり、千日行を始める前の準備として、すでに百日行を行っていたが、やはり毎日休みなしに続けるのは体に堪えた。風邪を引き、熱を出したこともあったが、休むわけにはいかなかった。
誰が見ているわけではなかったが、仏さまは見ていると思っていた。
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