2009年8月6日木曜日

12 流転 3

私は岐阜に家を建て、私の母と、一人暮らしをしていた父方の祖母を呼び寄せて妻と二人の子供とともに住まわせた。そのとき、私の人生は順風満帆に思えた。しかし私は家庭を省みることをしなかった。結局、私は自分の父親と似た道を辿っていたのであろう。

父の最初の仕事は、愛知県にあった東海地方で最初に出来た自動車学校の教官兼副校長だった。まだ自動車が珍しかった時代のことである。自動車学校の教官をしているということは誇らしいことだった。
その後、ある会社の創業に関わり、その会社を上場させるまでに発展させた。それから自分の運送会社を作り、トラック十数台を有するまでに至った。
当時の東海地方では一番大きな会社だったと聞いている。この会社に専務として入った父の弟が手形を乱発し、会社を倒産させてしまう。
岐阜に夜逃げで来たのは、私が小学二年生のときだ。岐阜に来てからは父は自動車の販売会社をしていたのだが、次第にヤクザとの付き合いが始まり、私が中学二年生のときには自らの組を立ち上げるに至る。いつも家にいないので、その頃の父のことを私はほとんど知らない。

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